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師走におもふ

12月2日、22時。所用にて羽田空港に到着。夜半、未だコロナ禍とはいえ半年前の危機感は感じられない賑やかさ。

明朝7時、面談の時間までオリンピックの会場、選手村となったマンション界隈を散策。時代の流れの速さ、文化の変化というのは凄いものだ。7年前に来ていた場所も、すでに当寺の面影も無く、古い倉庫もバンクシーの展覧会の案内表示。おそらく日本の上位と思われる建築技術、店舗がひしめく天王洲界隈。一見ただの倉庫に見えるが、中を見れば品位ある割烹の様子。若い小僧が朝から玄関の掃除、見ていれば実にきめ細かに手を動かす。夜、気になり暖簾をくぐる。料理を素材頼りで誤魔化さない手の込んだ技法。これも新鮮な海や山の幸に乏しい地域の傳持の賜か。。。最高でなくとも、最善に素材を活かす工夫、これは時間をかけないと成らない技術。時代時代の研鑽と同時に師から弟子へ。日本伝統の奥ゆかさ、心のバトン。やはりこれが無い地域は正直飽きるし、総じて文化人は育たない。最先端の日本文化の結集地である江戸も、外の形は違えど見事な文化が連綿と受け継がれている。

明くる日、墓終いをして整理したいとの連絡。故人の遺志なのか?あなた自身はどうしたいのか?に返答できない様子。事情様々とは申せ、流行りに乗る最たるもの。故人らが、彼岸にあってもより良くあらんことを願う心が、どこにいてもあなたに有るなら受けましょう。申し訳ないが供養という心と心の会話を今後損なっては、合同墓もただのゴミ捨て場である。何を支えに生きていくのか。スーパーマンなのか、ただの勘違いなのか。戦後の温室世代は恐ろしい。日本の未来が大いに不安でしかない。

そんな弟子は育てなくない、と願う今年もはや師走。丸1年、コロナとの共生に努力したのかどうなのか。まだまだこんな罰では足りぬと、コロナも変異していく。人間とはやはりちっぽけなものだ。来る年も、「己を越える依るべ」は失わずに精進したい。

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