1. HOME
  2. ブログ
  3. 摧邪輪 田舎でも

摧邪輪 田舎でも

・いやいや、しかしどの地域にも低質な悪徳商法は存在しますな。どうも最近相談の多い某グループの勧誘、徐々に周知され嫌悪されている様子。こちらが対策経験者と知らずに寺へのご訪問。「あなただけ」「自由です」「セミナー」の常套句からの後日商法談、気付きなさい。

「自身の信仰する宗教への執拗な勧誘は破門、資格剥奪に値のことと覚えておくよう」師僧に何度も念押しされた日々。

人生は迷いと選択の連続で、今まで様々なことに迷い、自分の決断に喜びや後悔、苦しみを覚えるもの。決断は重ければより苦しく、その決断は自分自身で責任を取らなければならず、代わってくれる人はいない。厳しさや、迷う力も環境も与えてくれるのが宗教で、その中から本来の自己を呼び覚まそうと精一杯寄り添い対峙してくれるのが本来の宗教や教えであろう。

一方、カルトに与えられた答えによって「絶対的正しさに依存」すると、この決断の責任を自分で取らなくてもよくなってしまう。重要な選択はその教団や指導者の指示に従えば良く、仮に自分にとって不都合な結果が生じても構わない。排他的な言動も生まれ家族も破滅し、人をも殺める。

仏壇や寺は願いを叶えるための道標を示し、故人や自己と向き合い、人生や日々の意義を探る場所。選択肢の多い昨今、自己を見失う前に時折は正座をして静観も良いのではないでしょうか。

関連記事